聖書研究1:創世記

神は六日間で世界を創造され、七日目で休まれました。

六日目に、神はご自身の形に人間を造られました。

最初の人アダムは、土から造られました。土は茶色で、アダムの肌はアジア人の黄色人種だったのかもしれません。

神様は、人がひとりでいるのはよくないと、アダムのために動物を用意されました。
動物は人の助け手として用意されたのです。
ですが、アダムはそれら動物では満足できませんでした。

そこで神様は、アダムを深い眠りにつかせて、アダムのあばら骨を取られ、その骨でエバを造られました。

骨は、黄色人種や黒人であっても白色です。ですから、エバの肌は、白色だったのかもしれません。
そんなエバをみて、アダムは、これこそわたしの肉の肉、骨の骨。わたしはこれを女と名づけようと言いました。アダムにとってパートナーは最初の女性エバに決まったのです。

アダムの体は、造られた時から大人であったかもしれませんが、何も知らない状態でした。人間という器があっても、言葉も知らない者だったのです。そこで、三位一体の神様であられる主イエスキリストが、アダムに言葉を教え、人は神様からもらった言葉によって善だけの知識、善のプログラミングを手に入れたのです。

現在、進化論という仮定の論理がありますが、進化論では、人間が言葉を手に入れることは不可能だと分かっています。

なぜなら、人間は、狼に育てられれば、言葉も知らず、狼のように生きるようになります。人間が言葉を手に入れるためには、2歳児からの環境が必要で、まわりに言葉を話す相手がいなければ、言葉を習得することができないのです。過去、多くの事例で、狼や動物などに育てられたこどもが、のちに発見され、人間に保護されて生活したのですが、環境が変わっても、数語ほどの単語しか習得できませんでした。人は、幼い頃に、1つでも言葉という基礎がなければ、大きくなった時、言葉をまともに脳にインプットできないようになっているのです。

進化論では、最初に猿が親だったと教えますが、猿は言葉を使いません。ということは、親が言葉を使わないのであれば、こどもは、言葉を習得するのは不可能なのです。例え、100人や数千人の人間がいても、その親が言葉を使えない猿であったのなら、何人人間に進化したとしても、言葉は手に入らないのですね。

その点、創造論は、現実と一致しているのです。最初に言葉を話す神様がいて、その神様から言葉を教わり、プログラミングされた。そのアダムは、エバに神様から教わったプログラミングをほどこし、教え、またその二人が、こどもたちに、プログラミングの基礎である言葉を与えたわけですね。

これは決して、聖書だけの話ではありません。この神様によってプログラミングされる伝承は、世界中の宗教にみられる共通点なのです。当たり前といえば当たり前ですが、人は、末広がりで人口が増えていっている以上、最初は、小単位の家族から広がっています。ですから、世界中の文化が、共通点があることは、聖書や多くの宗教の正しさを証明するものなのですね。

次回へ続く

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